40年くらい前の話。
中学、高校当時よく聞いていた曲が中島みゆきの歌。彼女の歌のほとんどが“失恋歌”ということもあり、当時は世間では“暗い”と良く言われていたものですが、その“暗い”歌詞に言葉では上手く表現出来ませんが、思春期の“ま~し~少年”の心に響く何かがありました。また歌の“暗い”イメージとは180度異なるラジオの深夜放送の“明るさ”にも心惹かれて毎週聞いていました。
中島みゆきの出身地が今私がいる帯広市。生まれたのは札幌だそうですが、幼少の頃に帯広に移り住み、高校卒業まで帯広で過ごしたそうです。彼女の家があった場所が帯広駅から少し西に行った線路沿いの“中島産婦人科”。今はもうなく、跡地は帯広中央病院の駐車場になってます。
実は昨年から帯広に来る度に朝の散歩コースとして度々訪れていました。“暗い”イメージからブログにアップしても誰も関心を示さないだろうと思い、私だけの楽しい思い出としていましたが、先日たまたまこの話をとある場所で話した時に意外とみゆきファンが多いことを知り、帯広出張もぼちぼち終焉を迎えそうなので、中島みゆきに興味のある方、そして私個人の感傷記事として残すことにしました。
彼女はあまり帯広には良い思い出がないそうですが、ここで彼女が育ったというのはまぎれもない事実。
ふるさとへ向かう最終に乗れる人は急ぎなさいと
やさしいやさしい声の駅長が街なかに叫ぶ
ふるさとは走り続けたホームの果 叩き続けた窓ガラスの果て
そして手のひらに残るのは白い煙と乗車券
涙の数 ため息の数 溜ってゆく空色のキップ
ネオンライトでは燃やせない ふるさと行きの乗車券
~ホームにて~
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